シリーズ第6回のゲストは、起業家の⼭下⾼弘さん。
⼤⼿銀⾏から証券会社のエグゼクティブへ、そして2013年に独⽴。ゼロからのスタートで⾶び込んだカンボジアで、マイクロファイナンス事業を軌道に乗せ、いまでは⾦融、⼈材派遣、飲⾷、不動産など複数の事業を⼿がける経営者となった⼭下さん。家族4⼈でカンボジア・プノンペンに暮らして10年。「⾒たことない景⾊⾒せたるわ」という⼀⾔から始まった挑戦が、家族の暮らしと⼦どもたちの未来をどう育ててきたのか。じっくりお話を伺いました。

⼭下 ⾼弘(Takahiro yamashita)/ 起業家
SAHAKA Microfinance institution, PLC CFO
関⻄⼤学経済学部卒業(体育会サッカー部所属、98年度主将)
1999年、住友銀⾏(現SMBC)⼊⾏。2006年、三菱UFJメリルリンチPB証券(現・三菱UFJモルガン・スタンレー証券)へ転職し、2012年エグゼクティブダイレクター就任。2013年に独⽴し、シンガポール法⼈を設⽴。
同年、カンボジアでの事業機会を模索しはじめる。2015年に⼈材派遣会社NiCamを、2016年にはカンボジア中央銀⾏からライセンスを取得しマイクロファイナンス事業「SAHAKA Microfinanceinstitution, PLC」を創業。2020年にはバングラデシュの建設会社の経営再建にも携わる。2022年、⽇本国内で育成世代のアスリート向け⾷事マネジメントを⾏う「株式会社フィジカルコントロールセンター」を創業(現在9拠点)。2026年、シンガポール法人「SOLVERA Holdings Pte.Ltd」を設⽴し、Directorに就任。

SAHAKA Microfinance institution, PLC
カンボジア・プノンペン
現地の人々の暮らしを支えるマイクロファイナンス(小口融資)事業。地域に根ざした金融サービスを通じて、一人ひとりの自立と挑戦を後押ししている。
https://sahakamfi.com.kh/

株式会社 フィジカルコントロールセンター
日本国内 9拠点。育成世代のアスリートを対象とした食事マネジメント事業。「食」を通じて、未来のアスリートたちの可能性を育てる場づくりを行っている。
https://clubhouse-meal.com/
⼤⼿銀⾏員から、証券会社のエグゼクティブへ。順⾵満帆に⾒えたキャリアを⾃ら⼿放し、⼭ 下さんが選んだのは「⾒たことのない景⾊」を家族と⾒るという 、 まっさらな挑戦だった――。
「⾒たことない景⾊⾒せたるわ」
――退路を断った挑戦のはじまり
― 独⽴からカンボジアでの創業まで、どのような道のりだったのでしょうか。
山下さん:2013年に証券会社を辞めて独⽴した際、妻とはひとつの約束をしていました。
「預貯⾦が底をつくか、3年で芽が出なければサラリーマンに戻る」そう約束したうえで、「⾒たことない景⾊⾒せたるわ」と啖呵を切って、挑戦がはじまりました。
ただ、現実はそう⽢くありませんでした。独⽴してから2016年に転機を迎えるまでの約3年間は、何をやってもうまくいきませんでした。 独⽴直後の半年は住む家すら⾒つからず、知⼈が持つ「⽇雇い労働者の仮住まい」で⽣活。ようやく⾒つけた家も、持ち家が窓から⾒えるという、なんとも屈辱的な環境の狭い賃貸物件でした。
⾃宅は⼈に貸し、そのお⾦でローン返済と⽣活費をまかないながら、⾃分たちの貯⾦を切り崩し、家族4⼈でその物件に暮らす⽇々。当時、次男が「セブンイレブンのおでんが⼀番美味しい」と⾔うほど、⽣活は困窮していました。
転機が訪れたのは2016年。カンボジアでマイクロファイナンス事業のライセンスが正式に下り、ローン会社の収益モデルにも⼿応えが⾒えてきたタイミングで、家族を呼び寄せることを決めました。
⼾惑いから、当たり前へ
――暮らしが馴染んでいく時間
― 移住当初、ご家族に⼾惑いはありましたか?
山下さん: ⼾惑いは、正直あったと思います。ただ、もともと海外での暮らしに憧れがあったことや、⼦どもたちを幼少期から⽇本でインターナショナルスクールに通わせていたこともあり、語学や⽂化、⼈種への抵抗感は家族全員、あまりなかったように思います。
もちろん、⽣活習慣の違いに驚くこともありました。トイレの構造やお⾵呂(バスタブ)がないのが当たり前という環境に、最初は「お⾵呂に⼊りたい」「ウォシュレットが恋しい」なんて⾔っていた⼦どもたちも、いつの間にか銃のような形をした洗浄設備に慣れ、今ではすっかり馴染んでいます。次男にいたっては、トイレのあとにシャワーを浴びるという、いかにも外国⼈らしい習慣まで⾝についたほどです。
セキュリティさんやドライバーさん、クリーナーさんという存在も、はじめは⼦どもたちにと って不思議な存在でした。「なぜ運転してくれるの?」「なぜママは掃除しないの?」と聞かれたこともあります。ですが、友⼈宅を⾏き来する中で、それが共働きを⽀える仕組みであり、こ の⼟地に根づいた「分業」の⽂化なのだと、少しずつ理解が深まっていきました 。今ではもう、 それが当たり前の光景です。
とはいえ、⽀えてくれる⼈たちへの感謝や敬意を忘れさせないことは、家庭の教育としてずっ と⼤切にしてきました。⼀度だけ、⾞を降りるときに⻑男が聞こえる声で「ありがとう」を⾔ わなかったことがあり、その場で路上で背負い投げをして、駐⾞場のセキュリティさんに慌て て⽌められるという失態を演じたこともあります(笑)。笑い話ではありますが、誰かに何かをし てもらうのが当たり前になってはいけない、という思いは、いつも根っこにありました。
住まいと、地域のつながりのなかで
― プノンペンでの住まいや、地域とのつながりについて教えてください。
山下さん: 住まいの作りや暮らし⽅は、地⽅ 都⼼部でまったく違います。プノンペンでは、地震などの災害が少ない国であることもあり、耐震性をあまり重視していない建物も多く⾒られます。 都市計画も決して整然としているわけではなく、渋滞が起きやすい場所もありますが、最近は配⾞アプリの普及で、移動そのものはずいぶんスムーズになりました。
私たちは基本的に現地のアパー トで暮らしてきました。家族4⼈で150平⽶前後(最⼤で330平⽶) の広さの物件を選び、これまで4度の引っ越しを経験しています。現在は、⾃社が⼀棟借りしているビルの上層階に住んでいて、セキュリティさんやドライバーさん、クリーナーさんたち がとても良くしてくれる環境もあり、不便を感じることはありません。
地域とのつながりという点では、村⻑制度がいまも残っていることが印象的です。決済のほとんどがアプリで完結する時代になりましたが、ローンの契約だけは、村⻑も交えて顔を合わせ、家族とも話をしたうえで結ぶ、とてもアナログなもの。返済が滞り担保物件を⼿放すことになれば、村⻑の署名も必要になるため、「恥ずかしい」という意識も働くようです。そうした地域のつながりの強さを、仕事を通じて⽇々実感しています。
⼦育てに関して⾔えば、プノンペンでは英語教育への意識がとても⾼いことも特徴です。現地の家庭でも、将来の仕事の幅を広げるために、英語の塾にだけは通わせたいという考えが根強くあります。

⾃由と⾃⼰責任のなかで、育っていった⼦どもたち
― この10年で、ご家族やお⼦さんたちに、どのような変化がありましたか?
山下さん: すべての意思決定において、良かったと感じています。次から次へと新しいことに取り組む毎⽇だったので、⼦どもたちには反抗する暇もなかったのかもしれません(笑)。ドライバーさんや社員たちの⽬もある、いわば狭いコミュニティのなかで暮らしてきたので、悪いこともあまりできなかったのではないかと思います。
学校教育の⾯でも、思い切った判断をしました。⼩学校では教科書の持ち帰りが禁⽌されてい て、最初は不安もありましたが 「⾃分が教えられる範囲は関⻄⼤学⽌まり。ここから先はグロ ーバルな視点を持つ先⽣たちに任せよう」と、夫婦で腹を括りました。結果として、勉強を⼀ 緒にした記憶はほとんどないまま、⻑男はイギリス・マンチェスター⼤学を卒業し、この秋か らオックスフォード⼤学院へ。次男はオーストラリア・メルボルン⼤学に合格し、現在は他校 の合否を待っている状況です。
この環境だからこそ育まれたものがあるとすれば、それは「⾃由と引き換えに、⾃⼰責任を引 き受ける」感覚だったように思います。この国では、格差があることも、多様な⽣き⽅がある ことも、”世の常”として⼤前提にある。
たとえば、原付バイクの免許制度がないこの国では、⼩学⽣でもバイクに乗れてしまいます。 だからこそ、事故のあとの現実を⽬にしながら、「乗る?乗らない?」を⾃分で選ぶ機会になる。 飲酒運転の取り締まりも決して厳しいとは⾔えないなかで、事故を⽬にした⼈が「飲む?飲まない?」を⾃分の頭で考える。
誰かが引いてくれた線の内側で守られるのではなく、⾃分で線を引く。そうやって「⾃由に選 び、⾃分で責任を持つ」という感覚を、⽇々の暮らしのなかで⾃然と⾝につけていった10年間 だったと思います。
決まった正解や”普通”にとらわれない経験も、数多くありました。「500円の材料と5000円の 材料、美味しい料理を作れるのはどちらか」というお題で、アイデア次第で500円側が勝ってし まうのを⽬の当たりにしたこともあれば、学校の先⽣同⼠が同性カップルで、⽣徒たちの前で結婚式を挙げてくれたこともあります。価値観や⽣き⽅の幅、許容できる範囲が、この10年でとても広がったように感じています。
弊社で働く社員たちの成⻑を間近で⾒てきたことも、⼦どもちにとって学びになっているはず です。年収が着実に上がっていく社員の姿を⾒ながら、”夢を追いかけることの意味”についても、いい意味で理解を深め、挑戦し続けてくれているのではないかと思っています。
夫婦関係にも、変化がありました。⽉に10⽇ほど、⽇本やシンガポール、バングラデシュへ出 張することが多いのですが、離れる時間があるからこそお互いを気にかけるようになり、プノンペンで⼀緒に過ごす時間を⼤切にする意識が芽⽣えた気がします。
難しさを感じたことは、実はあまりありません。むしろ、⽇本の理不尽な制度や過保護すぎる制度に触れるたびに、感覚の切り替えに混乱することも時折あります。

⼦どもたちへメッセージ
― 最後に、これからを⽣きる⼦どもたちへ、メッセージをお願いします。
山下さん: 周りの誰もやったことのないことに挑戦してみて、本当に良かったと、⼼からそう思っています。当時は「カンボジア? 本気で ? 」「 地雷とかあるんちゃう?」なんて散々⾔われましたし お⾦を稼ぐこともなかなかうまくいきませんでした。そんな中、⻑男が⽣まれてすぐ、メリルリンチの⼊社へと導いてくれた当時の上司――私が⼼から尊敬する唯⼀のサラリーマンから、⼆つのことを教わりました。ひとつは、資本主義経済を⼤きく回すことを考えて、⾃分でお⾦を⽌めるのではなく、寄付や有効な投資に給料の⼀定額を使い続けるべきだということ。もうひとつは、⼦どもは海外で学ばせた⽅がいい、ということ。20年前に聞いた話とは思えないほど、今も実践し続けている⼼がけです。
漠然と夢⾒たことを、⽇課にまでブレイクダウンして、それを愚直に20年間続けてきました。その結果、⻑男も次男も、思い描いていた以上の環境にたどり着くことができましたし、⾃分⾃⾝もビジネスにおいて誰かの役に⽴てているという⾃負があります。 当時の⾃分には、正直、⾃信なんてありませんでした。⾃分より優れた⼈たちに勝っていくために、⾃分にできることは「時間を味⽅につけること」しかないんだと思ったんです。そこから、地道な継続がはじまりました。
だから、ありきたりかもしれませんが――何かをしたから、何かが成せるわけではありません。もっと⼤きく、⻑いビジョンで、たとえ漠然とした夢だったとしても、思い描いたことを実現するための道筋を、⾃由に描いてみてほしい。そして、その通りに進んでみてほしいと思います。
想像したことは、案外⾼い確率で実現するものですから。
「⾒たことない景⾊⾒せたるわ」――その⼀⾔とともに⼿放したのは、⽇本での安定した暮らしだけではなく、慣れ親しんだ空間そのものだったのかもしれません。先の⾒えない挑戦のなかで、家族は少しずつ、⾃分たちの⼿で居場所をつくりあげていきました。 住む場所、暮らす空間を選び 直すという決断が、家族それぞれの”⾃分で考え、⾃分で選ぶ⼒”を、静かに、しかし確実に育ててきたように思います。どこで、どんなふうに暮らすかを選ぶことは、これからをどう⽣きるかを選ぶこと 。⼭下さんご家族の10年は、そんな”住育”のかたちを、あらためて教えてくれました。

教えてくださった小学校の先生方と友人たち


「○○さんと住育を考える」シリーズ
このインタビューシリーズは、“空間を大切にすること”の意味を、いろんな視点から見つめてみる企画です。建築、教育、ものづくり、暮らし……それぞれの分野で活躍されている方々に「空間」についての思いを伺い、日々の暮らしのなかにある“住育のヒント”を、一緒に見つけていきます。すみかを大切にすることは、自分自身を大切にすること、そして、生きる力をそっと育ててくれる。そんなメッセージとともに、お届けしていきます。

住育ってなんだろう
「自分の“すき”がつまった空間」を育てることは、子どもの“生きる力”を育てることにつながります。空間は、ただの場所ではなく、心と深くつながっているもの。子どもたちが、自分の空間に愛着をもち、その空間を通して「自分を大切に思う気持ち」を育てていく——それが“住育”の考え方です。
Juuikubooks
“すみかを大切にすることは、こころを大切にすること。”そんな想いから生まれたプロジェクト、Juuikubooks(ジューイクブックス)。絵本や読みものを通して、子どもたちとその周りの大人たちが、「空間を育てる楽しさ」に出会うきっかけを届けています。
HP https://juuikubooks.jp Instagram @juuikubooks
