石橋百合子さんが紡ぐ、子どもの感性を育む空間

シリーズ第5回のゲストは、元幼稚園教諭の石橋百合子さん。

今回お話を伺ったのは、元幼稚園教諭の石橋さん。柔らかな風が木漏れ日のように心を照らし、子どもの瞳が軽やかに輝く場所――そんな“こころのすみか”を、石橋さんは長きにわたってデザインしてきました。保育者として、母として、地域の中で、小さな発見と心の動きを見守り続けてきた石橋さん。彼女が大切に育んできたのは、見える教育ではなく、“感じる教育”のあり方でした。

石橋 百合子(いしばし ゆりこ)
元幼稚園教諭
兵庫県西宮市在住。1972年に頌栄短期大学を卒業後、聖愛教会付属善隣幼稚園、学校法人八幡幼稚園などで勤務し、出産を機に一度退職。その後、頌栄幼稚園や光の園幼稚園で再び保育の現場に立ち、2023年に定年退職。

結婚後は2男1女の母となり、現在は長男家族とともに3世代・6人で暮らしている。

遊びの中にひそむ学び、季節とともに移ろう感覚、家族の温もりから生まれる安心…。そのすべてが、子どもの感性をそっと息づかせる空間になる。今回の対話では、石橋さんが紡いだ“心が育つ空間”のかたちを、ひとつひとつ紐解いていきます。

幼少期の原風景―「外遊びが生活の中心だった」

「とにかく外で遊ぶのが好きな子でした。」と笑う石橋さんの目には、幼いころの風景が今も鮮やかに映っているようでした。神戸市中央区の社宅。そこには銀行所有の打ちっぱなし場とつながった広々とした原っぱが広がり、年の離れた兄弟や近所の子どもたちと、毎日のように走り回っていたといいます。

「広い場所って、それだけでワクワクするでしょ?何かを始めたくなるというか。あの空間があったから、私は“やってみたい”と思える子になれた気がするんです。」

草花が好きだった両親の影響も大きかったと語ります。休日は家族そろって庭の手入れをし、手先の器用な母からはミシンや刺繍を学びました。

「幼稚園の頃には、端布で人形の服を縫っていたんですよ」と笑う彼女の姿には、“空間を楽しむ力”が子どものころから育まれていたことがにじみます。彼女の保育観の原点は、こうした家庭の風景や、身の回りの自然に根ざしているのかもしれません。

子育てを通して広がった“空間”の意味

結婚を機に保育の仕事をいったん離れた石橋さんでしたが、3人の子どもとの生活は、まさに“遊びと空間の実験場”のようだったと振り返ります。中でも、夫の転勤先で過ごした滋賀・草津での時間は、子どもたちの育ちにとって忘れがたい体験となりました。

「草津では、自然がすぐそばにあって、まるで毎日が小さな冒険みたいでした。」

用水路でザリガニを捕まえたり、琵琶湖まで自転車で出かけて、親たちはお湯を沸かしてコーヒーを飲みながら見守る。子どもたちは湖畔を駆けまわる。藍染め体験やぶどう畑での収穫、畑の手伝いに、バス釣り。家庭だけでは難しい経験も、地域の人とのつながりがあればこそ実現したと言います。

「“やってみたい”が叶う空間には、必ず誰かの手があるんです。自然と人との両方があって、空間が生きたものになる。」

子どもは“環境と人に育てられる”。保育者としての気づきが、まずは母としての暮らしのなかにあったのです。

保育の現場でつくってきた“育つ空間”

保育の現場に戻ってからの石橋さんは、長年勤務した幼稚園で、子どもの目線を最優先にした空間づくりに取り組んできました。園庭の隅々まで、安全かつ安心して遊べるよう常にチェックを行い、特に “隅っこ”には保育者の視線が届くよう注意を払っていました。滑り止め加工、二重鍵の設置、遊具の定期メンテナンスなど、あらゆる細部に工夫を凝らし、事故を未然に防ぐ仕組みを徹底していたのです。
それと同時に、石橋さんは“遊びの空間”としての園庭の可能性も追求してきました。大きな木にターザンロープやブランコを取りつけたり、壁にボルダリング用のホールドを設置したりと、決して広くはない園庭を、子どもたちが夢中になれる冒険の舞台へと変えていきまし た。

「あるもので、どう楽しめるかを考えるんです。空間って、発想次第でいくらでもおもしろくできる。」

保育室の壁面にもこだわりがありました。季節を感じられる装飾を施すだけでなく、子どもと一緒に作り上げることで、自己表現の場にもなる。たとえば一本の木を中心に、一年を通じて季節の移ろいを描き、そこに虫や動物、絵本の世界を重ねていく。そうした“しかけ”は、子どもたちの想像力を育むだけでなく、語彙や表現力にもつながっていきました。
石橋さんがつくってきたのは、ただ安全で便利な空間ではなく、「心が動く空間」。そこでは、子どもたちの目がキラキラと輝き、保育者自身もワクワクできる余白が生まれていたのです。

(左) 銀杏の木とブランコ。(右)楠の木とターザンロープ。

保育の現場でつくってきた“育つ空間”

「子どもって、空の色や風の匂いに、本当に敏感なんですよ。」

石橋さんは、子どもたちの“感じる力”を育てることを、保育の根幹に据えてきました。季節の草花、雨の音、虫の声――そうした自然のなかにある微細な変化を、心で感じ取ること。その経験の積み重ねが、子どもたちの感性を育てる土壌になるのだと語ります。
保育室には、ままごとやブロック、絵本など、年齢や興味に合わせた遊びの道具を常に整え、子どもたちが自分から“遊びに入りたくな る”よう工夫されていました。たとえばままごとコーナーでは、ただキッチンを並べるのではなく、あえて“遊びかけ”の状態――テーブルにお皿やコップを並べておくことで、子どもが自然と続きを始めたくなる仕掛けをしていたのです。

「“やらされる”のではなく、“やってみたい”が出てくる空間って、すごく大事なんです。」

また、雨の日には園庭に流れる水を“川”に見立てて葉っぱを流したり、雨音を楽しんだり。春の花びらや秋の落ち葉を集めて飾ることで、季節が五感を通じて心に届くような保育を心がけてきました。
感受性とは、生まれ持ったものではなく、“育てられる力”。それを育むのが、大人のまなざしと、空間に込めた工夫なのだと、石橋さんは優しく教えてくれました。

ボルタリングを設置した壁。

石橋さんが保育を通じて一貫して大切にしてきたのは、「誰かと比べない」「ありのままを受け止める」姿勢です。

「“一人ひとりみんな違って、みんな良い”って、口にするのは簡単だけど、実際に向き合うのは根気がいります。でも、だからこそ面白い。」

泣いている子も、黙っている子も、落ち着きがない子も、どの子にもその子なりの“理由”や“背景”があります。石橋さんは、その理由を探すように、子どもの心にそっと寄り添いながら過ごしてきました。

「自分のペースで、“出したいときに出せる”子どもに育ってほしいんです。自分の人生を楽しめるように。」

誰かに言われたからやるのではなく、自分の中から「やってみたい」が湧いてくる子。それが、主体性を持つということ。そして、その“はじめの一歩”を後押しするのが、大人の役目なのだと話します。

「私はよく我が子に“あんたは、お母さんの宝物”って言っていました。子どもが心から安心できる居場所、それが一番大切な“空間”なんだと思うんです。」

幼稚園の卒園生から「幼稚園で認めてもらえたから、今の自分がある」と伝えられたとき、石橋さんは心から”保育者になってよかった”と感じたそうです。

子どもの育ちには、“心の住まい”が必要です。それは、物理的に広くて立派な空間ではなく、自分らしくいていいと感じられる場所。心がワクワクする余白があり、「やってみたい」が育つ温度のある空間。

石橋百合子さんの人生は、まさに“住育”を体現する歩みでした。幼少期の原っぱ、滋賀の湖畔、幼稚園の保育室、そして家庭のリビング ――それぞれの空間が、彼女自身を形づくり、そして今、次の世代へとその思いを手渡そうとしています。

「空間は、子どもの心を育てるもの。」

その言葉の重みが、これからの“住育”の道しるべとなって、静かに 私たちの胸に響きます。

定年退職の知らせを聞きつけ、卒園生と保護者が次々と駆けつけた日。腕いっぱいの花束に包まれた石橋さん。


「○○さんと住育を考える」シリーズ
このインタビューシリーズは、“空間を大切にすること”の意味を、いろんな視点から見つめてみる企画です。建築、教育、ものづくり、暮らし……それぞれの分野で活躍されている方々に「空間」についての思いを伺い、日々の暮らしのなかにある“住育のヒント”を、一緒に見つけていきます。すみかを大切にすることは、自分自身を大切にすること、そして、生きる力をそっと育ててくれる。そんなメッセージとともに、お届けしていきます。


住育ってなんだろう

「自分の“すき”がつまった空間」を育てることは、子どもの“生きる力”を育てることにつながります。空間は、ただの場所ではなく、心と深くつながっているもの。子どもたちが、自分の空間に愛着をもち、その空間を通して「自分を大切に思う気持ち」を育てていく——それが“住育”の考え方です。

Juuikubooks
“すみかを大切にすることは、こころを大切にすること。”そんな想いから生まれたプロジェクト、Juuikubooks(ジューイクブックス)。絵本や読みものを通して、子どもたちとその周りの大人たちが、「空間を育てる楽しさ」に出会うきっかけを届けています。
HP http://juuikubooks.jp Instagram @juuikubooks

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